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楽しいお部屋を探したい

「100年後も残るお菓子を作りたい」パティスリー・ノリエットオーナーシェフ 永井紀之さん(55歳)

様々な業界で活躍中の大人にインタビューする「大人の散歩道」。現在、第一線で仕事する大人はこれまでどんな生き方をしてきたのか。今も昔も変わらない大切なことを伺っていきます。  
今回は、世田谷・下高井戸の人気フランス菓子店「パティスリー・ノリエット」オーナーシェフ 永井紀之さんのお話です。洒脱な店内に、多彩なスイーツが色鮮やかに輝く「パティスリー・ノリエット」。永井さんの仕事の哲学や、フランス菓子の魅力、楽しみ方を伺いました。

「パティスリー・ノリエット」は、世田谷・下高井戸のフランス菓子店です。ガトー、ショコラ、焼き菓子、コンフィズリーといったお菓子から、キッシュやパテなどのお惣菜も取り揃え、手づくりの伝統的なフランスの食文化をお届けしています。

一生同じ価値観を持ってできる仕事に

もともとはフランス料理の料理人になりたかったんです。
高校三年生の時、一生同じ価値観でできる仕事に就きたいと考えて、調理師学校に入ることを決めました。料理人という仕事ならば、時代によって流行り廃りはあるにせよ、美味しいものを作り続けるという意味では一本の線の上をずっと歩くことができるのではないかなと思って。もちろん、食べ物に興味は持っていました。フランス料理を選んだのは、子どもの頃、祖母が中心の我が家の食生活が和食ばかりだったことへの反動かもしれません。あと、学生時代、ヨーロッパの本をたくさん読んでいた影響もあったような気がします。思春期特有の哲学的な悩みの答えを本に求めていたんです(笑)。

料理がわからなかったらフランス菓子は作れない

調理学校を卒業後、最初はレストランに料理人として就職しました。ただ、そのお店がある日突然閉店することになってしまって。次の仕事がなかなか見つからない時、同じレストランにいたパティシエの永井さんが「お菓子の勉強をするか?」と声を掛けてくれたんです。当時から、お菓子の業界と料理の業界は似て非なるものでしたが、これも何かの縁だと思ってその人に付いて行きました。それが「オーボンヴュータン」というお店。オーナーである河田さんと僕を連れていってくれた永井さんは、二人ともフランスで働いた経験のある人でした。日本のお菓子屋の中では、珍しいお店だったと思います。何より二人とも料理に詳しい。料理がわからなかったらフランス菓子を作れないだろうというタイプで。レストランから行った僕のような人間にとっては居心地がよかったですね。

納得できないと楽しくない

日本でフランス菓子を作っているとジレンマがあるわけです。「本当にこれでいいのか?これが本物なのか?」と。
フランス菓子というのは、日本でいうグルタミン酸やイノシン酸という旨味はなく、濃縮した味が美味しいとされているんですね。いかに薄めずに、しっかり味を出して美味しいものを作っていくかが大事。フランスでは、基本的に料理の味付けが塩だから、最後にどっしり甘いものを食べたくなるんです。一方、日本食は、お米をはじめ基本的に甘いから、食後に甘いものを体が欲しません。そこが根本的に違う。
僕は、そういうフランス菓子を、日本人用にアレンジするにせよ、そのまま出すにせよ、本物を自分自身で確かめて消化したうえで作りたいと思うようになりました。もちろん、確かめた上での葛藤もあるでしょうけど、他人の葛藤の上から始めるのとでは全然違いますから。お客さんにとっては、そういう思想なんてどうでもいいことかもしれないですが、ものを作る人間としては、やっぱり自分で納得できないと楽しくなくなってしまう。それでフランスに行こうと決めました。

「いてもいい」ではなく「いなくては困る」人間に

渡仏を決めたものの、時代が時代だからチャンスなんて全くなくて、冒険みたいなものでした。ツテもないので、とりあえず「オーボンヴュータン」の河田さんと永井さんに、フランスのいいお菓子屋さんの住所を教えてもらってフランス語で手紙を送りました。45通くらい。当時はメールなんてありませんから。そのうち帰ってきたのが4通。全て断りの手紙でしたが、返事がきたのは嬉しかった。それでフランスに渡って、あとは飛び込みです。「前に手紙書いたものです」って。ようやく雇ってくれるお店が見つかったのは、何十軒も回ったあとでしたね。それから一年おきに、グルノーブル、パリ、ジュネーブ、ルクセンブルクとヨーロッパの色々なお店で6年間働きました。向こうでは自分は外国人なので、いつクビ切られるかわからないという不安は常にありました。「いてもいい」ではなく「いなくては困る」人間になろうと必死でしたね。

お店が上手くいかなくても別のところで売上を作ればいい

帰国後に始めたのが、ショコラや焼き菓子の卸の仕事でした。4年くらい続けて、そろそろお店を開くことを考えていたところ、良い物件が見つかったので大きな借金をしてお店を始めました。よく、「一人で始めるの怖くなかったですか?」って聞かれるんですけど、何もないのにフランスに渡ったことに比べたら大したことではありませんよ。絶対成功するとも思っていなかったですけど、たとえお店が上手くいかなくても、卸でいっぱい営業して、トータルで売上を確保すれば経営していけるだろうという自信はあった。だから、まずは思っていることを100%やろうと。
ただ、やっぱり最初の数ヶ月は厳しかったですね。それでも、卸で売り上げを支えつつ、お店自体はあまり変えないで新しい商品を次々に出して行きました。そうしたら、そのうちマスコミに取り上げてもらえるようになって、お客さんも増えて、デパートから話もあって、またお客さんが増えて……と、お菓子を変えることなく軌道に乗ってきた。それは、幸せなことでしたね。

お店全体でお客さんの食生活を豊かに

お店のお菓子については、みんな同じように思い入れがあるので、特にこれがお勧めというものはありません。長い年月をかけて自分と一緒に少しずつ成長してきたお菓子も、新しく考えたお菓子もどちらもかわいい。僕はいつも、「お店一軒でどういうお菓子屋か」ということを考えているんです。もちろん一個のお菓子でそれを語らなければいけない部分もあるけれど、一軒のお菓子屋としていかにその人の食生活を豊かにできるかを常に意識しています。生菓子も、焼き菓子も、チョコレートも、アイスクリームも、一つ一つのお菓子がその役割を担っている。食って毎日のことですから、一つ特別美味しいものがあればいいというものではないんですよ。

時間の淘汰に耐えてきたものを尊重したい

流行を追いかけることは商売として考えれば悪いとは思いません。ただ、新しいものって時間の淘汰を経ていないですよね。一方、歴史に耐えてきたものというのは、これまでの人たちがその美味しさを残しておきたいと思ってきたから今あるわけです。もちろん、新しいものはいいし、珍しい。でも僕は、二度三度食べたら飽きられてしまうような流行よりも、100年後でも必要とされるものを尊重できるようにありたい。もし自分がそういうものの美味しさを理解できないとしたら、理解できるまで食べて、理解できる人間になりたい。
僕は、フランス菓子というフランス人が長い時間をかけて紡いできたものを、あまり日本人的に歪めないで伝えて、その結果、日本人の食生活が豊かになったらいいなと願っています。もちろん新しいものを作る時も、100年残るものを作りたいと考えているし、毎日お米を食べている日本人にも、そうではないフランス人にも「美味しい」と言ってもらえるようなお菓子を作りたいと思っています。

パティスリー・ノリエット(東京都世田谷区赤堤5-43-1)
永井紀之さん

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